イチローを一流に育てた父 3

イチローの子供時代の話で、バッティングセンターに通ったことは、有名でしょう。折角なので、当時のエピソードも含め、紹介します。

 

イチローが好きな練習は、フリーバッティングだったが、二人で練習していることもあって、10球も続けて打ったら、ボールを拾いに行かなければならなくなる。

そうすると能率が悪く、時間のロスもどうにかしたいのもあって、思いついたのがバッティングセンター。

そこから小学校3年生から中学を卒業するまでの7年間、イチローはほとんど休まず、バッティングセンターに通い続ける。

 

バッティングセンターに通い出した小学三年生の頃は、100キロ前後のボールを打っていた。

学年が上がるにつれ、速いボールを打ちこなすようになり、五年生の頃には110キロ、六年生の終わり頃には、最高速の120キロのボールを難なく打ち返せるようになる。

中学に入ると、130キロが出る様改造して貰い、中学の終わり頃には、そのスピードにも慣れ、打席の位置を、2,3メートル近づけて打っていた。

 

1ゲーム25球で、毎晩最低でも5ゲーム。平均すると6~8ゲーム。一度家に帰ってから、もう一度行ったことも度々あった。

打ったボールは、全部で40万球近くにもなる。

 

バッティングセンターに、毎日通うというのは、これもまた大変でしょう。

週に二、三回、塾に送り迎えしたりするのも大変だと思いますが、バッティングセンターに毎日です。

またイチローのお父さんは、イチローが何か言って来た時のために、いつでも準備しているのですが、もう一度バッティングセンターに行きたいと言えば、連れて行く。

普通は、「今忙しい」、「用事がある」、「仕事がある」、「今日行ったんだからいいじゃないか」となる。

このエントリーをはてなブックマークに追加

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong>