割りと何度も言っている事ではありますが、自分が思っていることが実現するとか、凄いことをしていると、思われていることが多い。
思った通りになるのなら、皆夢を実現させれるのですけどね。
私がドラえもんの道具で欲しいものは、もしもボックスでした。
あれが欲しいとかこれが欲しいとかいう人いますけど、もしもボックス一つあれば一発ですからね。笑
またドラゴンボールで願いを叶えられるなら、思ったことが実現出来る様に、みたいなことを考えていました。
そうすれば金持ちになりたければ金持ちになれるし、健康で長生きだって、何だって出来る。
ただこれは結構危険なことで、変なことを思ってしまったら、それもか叶ってしまう。
身近な人と喧嘩した時、死んでしまえなんて思ったりでもしたら、死んでしまうし、自分自身でも、死にたいなんて思ったら、それも願いが叶ってしまう。
だからこの願いは危険。笑
私も思ったことが実現したりしますが、変なことを思ってしまうと、それも実現してしまったりします。最近では散歩のつもりが、修業何て言ったものだから、30分か1時間のつもりが、往復で4時間かかる登山になってしまいました。
他にも最近ちょっとしたことがあって、それを振り返ってみると、「あれっ?これ実現しているな」と、以前にふと思っていたことが実現していたのです。
願望実現法などでよく勘違されがちなのは、それをやったからと言って、明日起きたら大金持ちになっているなどと言うことは、余程サイキック能力がある人でもなければ無理です。
だから上手く行かなかったとか、効かなかったと止めてしまったりしますが、実現するまでには少し時間がかかる。
またその場合は、いいものも悪いものも実現する。
ついでに願望の実現は、能力がある人とか無い人などに限らず、全ての人に出来ます。
それが出来るからこそ、病気を作り出したりもできる。また全てを実現させてもいる。
ただ自分の本当の気持ちに気づいていない、自分の声に耳を傾けていないから、実現しているとは思っていないだけです。
これが能力のある人は、いいものを引き寄せられる、実現させられることが他の人より出来る、また自分が意図したとおり、意識した通りに実現したりするというだけで、どんな人でも能力は持っています。
逆に上手く活用出来ない人は、潜在意識と顕在意識は一致していない事が多いので、自分が意識で思ったことは実現しない。
あくまでも実現するのは、潜在意識で思ったことです。
たとえばダイエット。
「痩せたいなぁ~」とは思っても、運動してまで痩せたいとは思わない、食事制限してまで痩せたいと思わない、という感じでは痩せませんが、これは意識で痩せたいと思っただけで、潜在意識は痩せたいとは思っていないから、痩せません。
こうしたダイエットのようなものであれば、自分でも周りでも、そうしたことを何度か経験しているので、それじゃ痩せないだろうということは、薄々分かっていて、その思いが実現しなくても余り気にならない。
しかしこれが身近で経験して来たものとは少し違うもの、大きい目標みたいなものだと、それらとは違うものだと考えてしまい、プロアスリートになりたい、と思っていたなら、自分はプロになりたいと思っているから、その願いが実現される、また崇高な目標を掲げている自分は、他の人とは違う凄いことを行っているような錯覚を起こすのです。
よくよく考えれば分かる様に、掲げる目標などは関係ないし、高い目標を抱えているから凄いとは限らない。
それが実現出来た人が凄いのであって、夢や目標を掲げるだけなら誰にでも出来るからです。
買っただけで満足するみたいなことがありますが、目標を掲げることが大事というより、その目標を実現させるために、どういった考えを持ち、行動を取っているかという取り組み方です。
「東大に絶対合格したいと思っていますが、勉強はしていません」
「勉強はしていませんが、毎月一回神社に行っています」
では、どんなに意識で強く思っていても合格しないように、あくまでどういう行動を取っているかの問題で、それをしないでただ、ああなりたいと言っているのは、ただ痩せたいと言っている様に、ただ願望を言っているに過ぎないのです。
またよく考えて欲しい。
オリンピックで金メダルを取りたいとします。ということは、他の人たち全てに勝つということ、他の人たち全てを負かすことですが、自分が金メダルを取れる理由は何なのかと。
自分が神様になったつもりで、考えてもいいと思います。
神様になったつもりで、オリンピックの順位を付けてみて下さい。どうやってつけますか?
一番親孝行だった人?笑
それもいいかもしれないけど、すんごい頑張った人など色んな人がいて、その人は負けることになり、相当悔しい思いをすることになるでしょう。
そんな感じで何でもいいのだけど、順位を付けていき、しかしその中で、果たして自分が一番になれるかなのです。
そうしたように別の視点や俯瞰して考えてみると、自分のことしか考えていないことに気づいたりする。
自分なりに努力したら、物凄いことをやっていると思って、自分はここまでやっているのだから、プロになれる、オリンピック選手になれるだけの資格はあるだろうと考えますが、それはただ自分がそう思っただけで、同じような人は大勢いるし、もっと凄いことをやっている人もまた、大勢いる。
他の人のことを知らないだけなのです。
自分の世界の中だけで生きていくなら、自分のことだけ考えていても問題はありません。
しかしプロになりたいというのであれば、全国規模で考えなければならないし、オリンピックでメダルとなれば、世界規模で考えて行く必要がある。
それを田舎の地域、部活の他の選手と比べて凄いだとか言っても、そこでは凄いかもしれませんが、その世界で通用するだけで、それ以外の世界では全く通用しない。
またそうしたことから、甘い考えが生まれてしまう。
私はキャプテン翼の小学生編が、非常に感性豊かに描かれいるため大好きですが、その中でも、小次郎と翼が競り合うシーンが、最も好きなシーンの一つ。
「俺はどんなことがあっても、負ける訳にはいかないんだ。俺がこうやって好きなサッカーをやっていられるのも、俺たち兄弟を育ててくれた母ちゃんのお蔭なんだ。俺のサッカーは、俺の一家の希望なんだ。だから、負ける訳にはいかないんだ!」
そして競り合いに勝った小次郎が、翼に言う。
「俺のサッカーは、お前らの遊びのサッカーとは違うんだ」
競り合いに負けて、そんなこと言われたら、何て答えますか?
中々上手いこと言えないものですが、翼も決してそれに負けていない。
翼の返しも、とても素晴らしいのです。
「サッカーは遊びじゃない!俺の夢だ!」
どうですかね?このやりとり。
日向小次郎には背負っているものがあって、絶対母ちゃんに恩返ししたいと思っている。また努力していると思っている選手がいても、日向小次郎にすれば、それはお遊びの努力に過ぎない。
小次郎にしても翼にしても、サッカーのためならどんなことでも出来る、サッカーに対する純粋さや、ピュアな気持を持っていて、だからこそ上手くなれる。
しかし、普通はそこまでのものはない。
フランスで画家を目指している若者たちは、画家になるために貧乏学生をやっても全く気にしませんが、特に最近の日本では、口では言うのだけど、あれもしたいし、これもしたいしで、集中力やエネルギーを分散させているため、広く浅くで一つのことを極めることは出来ずにいます。
「口では何とでも言える」日向小次郎
スポーツをやっている人などは、是非とも日向小次郎や大空翼を見習って欲しいなと思います。