少しややこやしい話なので、説明も難しいですが、例えば私は、「料理は愛情」とも言われるように、テクニック的なことだけではなく、愛情も大きいと考えています。
時間が無い時などは、ぱっぱと作ることがありますが、その時に料理の上手な人のぱっぱとと、雑にぱっぱと作るのとでは少し違う。
雑だと気が乱れるような感じになる。もちろん味にも現れるでしょう。
それに対し愛情を持って作ってくれた料理は、エネルギーが入って来る感じ、気が満たされるような感じがするし、有難いことだなと思う。
当然元気になる。
自分の為に作る料理は、余り気が乗らなかったりする人もいると思いますが、その気が乗らない気とは一体何なのか。
しかしよくは分からないけど何かがあって、また気が入って作った料理には、よくは分かんないけど、その何かが入っているとも考えられるのではないでしょうか。
邪気が入っていたら嫌だなぁ~。笑
ついでに言えば、機械で作るのと手でおにぎりを作ったりするなどでは、常在菌などの菌が違うので、そうした違いもある。菌と言うと悪いイメージがありますが、栄養や酵素だけでなく、菌も取り入れていかなければならない。
牧師が祈ることによって、病気が治ったりすることがあります。
それはプラシーボや洗脳みたいなこともあるものの、本当に素晴らしい人の祈りであるならば、これも何らかの力が働いて、本当に効くのではないかと思っています。
もっともプラシーボも面白いし、人間の体は案外いい加減で、半身不随になっていても、火事になったりしたら、走って逃げたりもするので、科学的には説明が付かない事は確かに存在する。
また「病は気から」というように、気持ちのありようは考えられている以上に大きいし、「気」と言っているから、「気」が関係しているかもしれない。
祈りによって病気がよくなったりすることは、別にクリスチャンだとか何だとかに関係なく、誰にでもあり得えます。
しかし祈りで治ったりする経験が無いから、そんなものはあるはずない、迷信だ、宗教だと考える。祈りという言葉も、今の人にすれば、何かこっぱずかしく、気持ち悪く感じたりする人もいると思います。
またこの所が少しやっかいですが、人によっては熱心に祈ったけど、全く効果が無かったという人もいるでしょう。
逆に何か特別にキリスト教的だったり、仏教的だったり、もしくは神様に祈ったりしなくてもよくなる事もある。