体は訴えている

膝や腰が痛ければ、その部分に問題が起きた。転んで怪我をしたのなら、たまたまついていなかった。そういったように考えると思います。

しかし物事は全てが繋がっているので、一つの部分の問題として存在してはいません。

そのため関節痛にしても、その部分だけの問題ではなく、また転倒したり事故に遭ったりなどにしても、ただ単に運が悪かったからではなく、そこには何かしらの意味があったと考えられる。

 

と言ってもこういった考え方は、今まで学校でも病院でも教えられてきたことでもないので、理解しづらいかもしれませんが、どこかが痛いと言ってきた人に、それがいつからかと聞いて、

「その辺りで仕事の事など、何か変化はありませんでしたか」

と聞くと、必ず何かの問題を抱えていたりするのです。

恐らくこのブログを読んでいる方でも、どこかを痛めた時、必ず精神的な面で問題を抱えていた時期でもあったはずです。

心が充実していて、体を痛める事はない。

 

歪みにしても心の問題があると体は歪みます。「それはないだろう~」と思うかもしれませんが、怒られてシュンとなった時、堂々と胸を張っていられるでしょうか。その場合必ず体は縮こまる。

へそ曲がり何て言うのも、へそ曲がりの人は体が捻じれていますが、嘘を付く時も、堂々とまっすぐ前を向きながら嘘を付くことは難しく、斜め下などうつむいたりするように、心と体には大きく関連しています。

子供の側弯症の原因の一つは、親が上から押さえつけたことです。本当はすくすく上に伸びたかったのだけど、上から押さえつけられたため上に伸びることが出来ず、横に曲がってしまったのです。

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