死と向き合うことで見えるもの

「武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり」

これは葉隠の有名な文言ですが、聞いたことのある人は多いでしょう。

昔は死とは身近なものでしたが、今では遠いものとなってしまった。

食べ物にしても、自分で殺めることなく、簡単に食べられるようになっているから、命を頂いている感覚は、全くない。


 

病院では昔は、治療を施しても亡くなってしまった場合は、「有難うございました」と医者に感謝していましたが、今は死なない事が前提になっているから、「お前のやり方に問題があったんじゃないのか」と、文句を言われることが多くなっているのだとか。

身近に死を感じなくなると、明日も生きてる、10年後も生きている、だから今のままでもいいだろうといった感じになってきます。そうすると密度も薄くなって、本当にやりたいこと、やるべきことをやらなくなる。

 

「もし今日が人生最後の日だったら、今日やろうとしていることをやりたいと思うか?」

スティーブジョブズは、これを17歳から自問自答してきたそうです。

また「死は生が生み出した唯一最良のもの」とも言っている。

もう一つジョブズのエピソードを紹介すれば、素敵な女性がいて、夕食に誘いたかったが、先約があり諦めた。しかし、

「今日が自分にとって最後の日だったら、会議とこの女性のどっちをとる?」

と自分に問いかけ、直ぐに思い返して夕食に誘った。それが後の妻となるローリンパウエル。

震災などで死を直面した人は、生き方が変わると言います。本当に人生を生きようとする。

 

最後に「葉隠聞書第十一」の文を紹介。

 

必死の観念、一日仕切りなるべし。

毎朝心身を鎮め、弓、鉄砲、鑓、太刀先にて

すたすたになり、大浪に打ち取られ

大火の中に飛び入り

雷電に打ちひしがれ

大地震にて揺り込まれ

数千丈のほきに飛び込み

病死、頓死等の死期の心を観念し

朝毎に懈怠(けたい)なく死しておくべし

古老曰(いわ)く

「軒を出づれば死人の中、門を出づれば敵を見る」となり

用心の事にあらず、前方死しておくことなり。

 

< 訳 >

必死の思いは、日に新たに日々新たにするように努むべきである。

朝ごとに心身をしずめて、弓、鉄砲、槍あるいは刀で切り裂かれ

大浪にまかれ、大火の中に飛び込み、雷に打たれ、大地震にあい

高い崖から落ちたり、病死、頓死などといった、さまざまな死にざま

末期の事を考え、毎朝ゆるみなく、死んでおくべきである。

古老の言葉に、

「軒先を離れれば死人のなか、門を出れば敵に会う」というのがある。

此れは用心のことではなく、前もって死んでおく心構えの事である。

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