プロになりたいと思っている学生たちは多くいる。
今の時代は夢を持つ子供も少ないから、それはいいことかもしれない。
しかしプロになりたいと言っても、本気でプロになろうと思っているのか、なれればいいなのレベルで言っているのかでは全然違う。
またプロの憧れは憧れでいいのですが、プロになりたいと言っても、「運動はしたくないし好きなものを食べたい、でも痩せたい」、といったたぐいの考えと同じようなものだったりもする。
プロになりたいと思っている学生たちは多くいる。
今の時代は夢を持つ子供も少ないから、それはいいことかもしれない。
しかしプロになりたいと言っても、本気でプロになろうと思っているのか、なれればいいなのレベルで言っているのかでは全然違う。
またプロの憧れは憧れでいいのですが、プロになりたいと言っても、「運動はしたくないし好きなものを食べたい、でも痩せたい」、といったたぐいの考えと同じようなものだったりもする。
生活習慣などを何も変えようとせず、痛みだけをとって欲しいと言う考えは、その人の我儘でしか過ぎない。
相手の我儘に付き合うのは、商売的にはいいのかもしれませんが、本当は自分にとっても相手にとっても、よくないことです。
だからそういうものは、相手が自分で気づくまで、仏の様に見守ることが必要になる。
しかし見守ると言うのは難しく、人間は弱い生き物であるため、困っている人苦しんでいる人をみれば、助けてやりたくなる。
私は子供の頃病気で苦しみましたが、「苦しー、苦しー」、「劇薬でもいいから使ってくれ」、「早く助けてくれ」と、今思えば親を困らせていました。
親としては苦しんでいる子供をみたくない、苦しませたくない。かといって強い薬を使えば、副作用を伴うことになる。
自分の方が苦しんだような気はしますけど、親としても苦しかったでしょう。
以前紹介した横山友美佳さんを思い出します。
ただ今の自分の考えでは、何度か死ぬか生きるかの所まで行ったものの、そうじゃない時もあるので、死なないような時であれば、たとえ死にそうなぐらいに苦しい思いをしたとしても、劇薬まで使う必要はなかったと思っています。
そういう時、皆さんであればどうしますか?
またそうした経験はありますか?
特に今の若いお母さんなら、子供が苦しんでいるなら、劇薬だとしてもそれを使って、早く苦しみから解放させてあげようとするのではないかと思うのですが、
しかしそれは、子供の苦しみを取ってあげることが第一ではなく、本当は自分自身が、苦しみから早く解放されたいからなのかもしれない。
こうした場面は、子供が苦しんでいるから子供の問題の様にも思えますが、同時に親も試されているし、子供も親の行動を見ている。
また子供は親を試すために、死ぬほど苦しい思いをして試すこともある。
特に子供は精神的なものから病気になりやすいので、親に苦しみを分かって欲しくて、もしくはかまってもらいたくて病気をしたり怪我をする。
これは大人でもそうですが、病気というのはただの方便だったりもするのです。
私自身も助けてあげたいと言う気持ちのために、治してあげることが出来なかったことがあります。
苦しんでいるから何とかしてあげたいと、他の人よりも時間をかけて施術したり、説明したりもした。
体の痛みや問題は、難しい身体であっても、一回で全てを取り除くことは出来ませんが、施術で改善させていくことが出来ます。
しかしそれが却ってダメでした。
その人の為だと思ってやっていたことは、その人の為にはなっていなかったのです。
体というのは難しい。
痛みや症状があるから、それを取ればいいと言う問題ではない。体ではなく、その人そのものを見ていく必要がある。
しかしそれが出来なかったのは、自分の弱さが原因。
弱さがあれば、困っている人がいれば助けてあげたくなる。
もちろんそう思うこと自体、決して悪いことではありませんが、その気持ちに囚われてしまうと、本質を見失ってしまうこともある。
仏が同情しないというのは、そう言う事だと思います。
どうやって教えたらいいか、教えるテクニックを学ぼうとするかもしれませんが、
一番重要なのは、
「 愛 」
なんじゃないでしょうかね。
無償の愛を持っている先生がいれば、どんなに教え方を学んだって、その先生には及ばないんじゃないでしょうか?
いつも施術を受けている人から、
前回、施術を受けられなくてこんなに疲労感があるのかというのを実感しております。 先生の施術には本当に感謝です。
というメールを頂きました。
私がやっている施術というのは、別に痛みがどうのというのではないんです。
人生のパフォーマンスを上げる施術を行っています。つまり体の本質を上げる施術。
本人が気づくのを待っているのもあって、余り説明しないのもありますが、多くの人はどこか痛い所を失くそうと考える。
それは当然のことではありますが、問題はそれに囚われている。
そうすると折角他のことがよくなっても、それが一切見えなくなる。
例えばスポーツ障害であれば、痛みが取れることよりも、力を抜くことの重要性であったり、練習の間違い、親の考えの間違いに気づくことが重要で、
それを教わったのであれば、「怪我がよくなって良かったね」で終わるのではなく、これからそれに取り組んで行かなければならない。
腰が痛い、どこかが痛いと言う人でも、先天的に問題を抱えていたり、手術や事故の後遺症などそうしたことがなければ、何回か施術を受ければ痛みは無くなっていきます。
しかし重要なのはそのことではなく、体をケアしたことによって、性格や生活、周りが変わったことに気づかなければならないし、病気をしなくなったということにも気が付かなければ、施術を止めれば、また元の生活に戻ってしまう。
体が変わればこころが変わり、こころが変われば自分が変わるから、周りも変わる。
そうすると色々なことが上手く周り始めるのですが、それが分かっていなければ、今の状態が何故いい状態なのかが分からず、その状態をキープさせることは出来ない。
ほとんどの人は、失敗は覚えているけど、何故成功しているのかが分かっていないから、成功を積み上げていくことが出来ないんです。
何かの効力があって成功出来ている場合、誰かのおかげで成功出来ている場合、それに気が付かなければ、それは自分の実力であると勘違いし、それが無くなった時に、スランプに陥る。
お金があって人が寄って来ているだけなのに、それを自分の人間性だと勘違いすれば、お金が無くなった時には、誰もいなくなってしまうのと同じです。
「感謝をしなさい」、「感謝をすることが大切だよ」というのは、こういうことです。
スポーツでもそうですが、何がよくて何が悪いのかが明確に分かれば、必然的に結果を出すことが出来る。
ラッキーとか、一喜一憂の世界とはまるで違う。
体をいい状態に保つことは、自分の人生をいい状態に保つことと同じことです。
スポーツでいい成績を出すには、体をベストの状態にすることですが、それは人生でも同じ。それがわかっていないと、上手く行かない。
会社勤めであれば、自分のパフォーマンスが低い状態でも、直ぐにどうこうという訳ではないので、気にならないのかもしれませんが、自分の体やこころのパフォーマンスが低くては、仕事でも人生でも高いパフォーマンスは発揮できない。
何が良くて何が悪いのか、
また体の状態とその関係性のことなど、
普段考えたことなど無いかもしれませんが、運任せ的なものではなく、必然性を持った人生、自分で歩んで行く人生、もっと充実させた人生を送りたいと考えるなら、それを考え取り組んで行けば、誰でも運命を切り開くことが出来る。
スポーツに限らず、仕事に限らず、育児に限らず、全てこころと体が基本となる。これがダメだったら、何をやっても上手く行かない。
と言っても、病気の人がダメですよということでもないのですが、「基本をおざなりにすれば、他は全てダメですよ」ということです。
野球であればバッティングとかピッチング練習のようなことを行う。また筋力の強化を考えたりするでしょう。
確かにそうしたことを行えば、何もしないよりは上達する。
しかし、例えばそうしたやり方で小学生の頃から何年も練習して来た人と、スラムダンクの桜木花道とどっちが上手くなるかと言えば、桜木花道の方が上手くなるし、わずか数か月で抜かれてしまう。
昔太り過ぎの原因はマクドナルドにあると、二人の少女が訴え、アメリカで裁判が行われたのですが、覚えているでしょうか?私もそんな人もいるものだ、思いましたが、これは当時アメリカでもニュースになりました。
マクドナルドを毎日30日間食べ続けると、一体どうなのかを人体実験した人がいる。
それが有名なスーパーサイズミー。
深い世界を知らないと、どうしても安易に考え、安易な方向に走ってしまいます。
スポーツの世界では、小学生の段階で怪我をしたり、才能や素質を潰すことにもなる。
また現在の成績がいいと、練習は上手く行っていて、その調子で右肩上がりに進んで行くように考えてしまう。
しかし、仕事がいつまでも上手く行くとは限らない様に、芸能人が一発売れても、売れ続けることが難しいように、また曲が売れても、売れ続けることが難しい様に、どんなことでも右肩上がりに行くとは限らない。
そのため有頂天になったり、また一喜一憂せず、よくよく考えていく必要がある。
子供がてんかんになったとか、統合失調症になったといった場合、何が原因かを考える時、また考えなければいけないことは、親が原因になっていないかどうかということ。
転倒したことや交通事故がきっかけになったとか、そういったものがなければ、かなりの確率で親に原因があることが多いです。
子供がてんかんになるとか、統合失調症になる場合は、親のストレスの影響を強く受けています。
素直に行動すると言っても、それは簡単ではない。
例えばどこか街で、「あっ!この人はステキだ!」と思っても、声をかけることはまず出来ない。
ナンパは、街角に立ち、誰でもいいから声をかけたりするのが、ナンパだと思いますが、この人いいなと思った人がいれば、話しかけることは悪いことではないと思うのです。
そうしない限り、その人に出会えることは一生ないでしょう。
けど普通は、とてもじゃないけど、話しかけれるものではない。