セミナーとスクールの感想

今回のセミナーでは最初に、最近よく行われているメンタルトレーニングについての本質的な話、またメンタルトレーニングの根本的な間違いの話、カールルイスが超一流たる所以、タイガーウッズの凄さ、稲葉篤紀の凄さ、また運命を変える方法などの話をしました。

それが参加者たちの心に響いてくれたようで、スクールにも参加している方から、大変素晴らしい感想を頂いたので、ご紹介します。

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宮本武蔵の戒め

昔の日本人は仏教や神道を信じ、仏や神を恐れ敬った。また親などの存在も尊いものでした。しかし今の時代は違う。親も親と言うより友達みたいなもので、仏や神を信じることもなくなり、何かあった時には、文句を言って自分ではなく相手を変えさせようとする。

そのため今の時代は、誰も教えてくれる人がいない。その結果なんでもありの考えになりがちとなる。

身近に師や先生がいてくれれば、それを諭してくれますが、そういう人も中々いないでしょう。じゃあ、どうするかというと、後は自分自身で何とかするしかない。

宮本武蔵が自分の短所を書いて壁に張り、座右の銘にした「独行道(どっこうどう)」がありますが、それを紹介します。

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自然を求める

多くの場合、自分の考えを基準に考えます。また自分の考えが正しいと考える。しかしその根拠は具体的に何なのかと言うと根拠はなく、ただ自分がそう思いたい、そう信じたいということの方が多い。

自分の考えは、自分が思っている以上に当てにならない。

スポーツにしても、これが正しいと思って子供に練習させたりしますが、それが正しいものとは言い切れない。多くは才能を潰している。

これはスポーツだけのことではなく、他のことにも言えることでしょう。

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杉山愛がプロを目指したのは?

一流のアスリートは言うまでもなく、一流のプレーに魅了される。しかし一流のアスリートが凄いのはプレーだけではない。人間性にも感動させられる。

杉山愛さんのお母さん、杉山芙紗子氏の著書「一流選手の親はどこが違うのか」の中に、プロになりたいと言ってきた愛さんと、芙紗子氏のやり取りが書かれているので紹介します。

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プロになる夢は本物か

プロになりたいと思っている学生たちは多くいる。

今の時代は夢を持つ子供も少ないから、それはいいことかもしれない。

しかしプロになりたいと言っても、本気でプロになろうと思っているのか、なれればいいなのレベルで言っているのかでは全然違う。

またプロの憧れは憧れでいいのですが、プロになりたいと言っても、「運動はしたくないし好きなものを食べたい、でも痩せたい」、といったたぐいの考えと同じようなものだったりもする。

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愛を求めていく上で必要なこと

この街で一番、愛を求めていく上で必要なことは、
自分に関わる全ての人や物を、自分の鏡として見つめてみることだ。

その中にある物事の真実を自分と照らし合わし、
自分が求める愛の姿を、もう一度俺はよく考えてみた。

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苦しみに出くわした時

生活習慣などを何も変えようとせず、痛みだけをとって欲しいと言う考えは、その人の我儘でしか過ぎない。

相手の我儘に付き合うのは、商売的にはいいのかもしれませんが、本当は自分にとっても相手にとっても、よくないことです。

だからそういうものは、相手が自分で気づくまで、仏の様に見守ることが必要になる。

しかし見守ると言うのは難しく、人間は弱い生き物であるため、困っている人苦しんでいる人をみれば、助けてやりたくなる。

 

私は子供の頃病気で苦しみましたが、「苦しー、苦しー」、「劇薬でもいいから使ってくれ」、「早く助けてくれ」と、今思えば親を困らせていました。

親としては苦しんでいる子供をみたくない、苦しませたくない。かといって強い薬を使えば、副作用を伴うことになる。

自分の方が苦しんだような気はしますけど、親としても苦しかったでしょう。

以前紹介した横山友美佳さんを思い出します。

 

ただ今の自分の考えでは、何度か死ぬか生きるかの所まで行ったものの、そうじゃない時もあるので、死なないような時であれば、たとえ死にそうなぐらいに苦しい思いをしたとしても、劇薬まで使う必要はなかったと思っています。

そういう時、皆さんであればどうしますか?

またそうした経験はありますか?

特に今の若いお母さんなら、子供が苦しんでいるなら、劇薬だとしてもそれを使って、早く苦しみから解放させてあげようとするのではないかと思うのですが、

しかしそれは、子供の苦しみを取ってあげることが第一ではなく、本当は自分自身が、苦しみから早く解放されたいからなのかもしれない。

 

こうした場面は、子供が苦しんでいるから子供の問題の様にも思えますが、同時に親も試されているし、子供も親の行動を見ている。

また子供は親を試すために、死ぬほど苦しい思いをして試すこともある。

特に子供は精神的なものから病気になりやすいので、親に苦しみを分かって欲しくて、もしくはかまってもらいたくて病気をしたり怪我をする。

これは大人でもそうですが、病気というのはただの方便だったりもするのです。

 

私自身も助けてあげたいと言う気持ちのために、治してあげることが出来なかったことがあります。

苦しんでいるから何とかしてあげたいと、他の人よりも時間をかけて施術したり、説明したりもした。

体の痛みや問題は、難しい身体であっても、一回で全てを取り除くことは出来ませんが、施術で改善させていくことが出来ます。

しかしそれが却ってダメでした。

その人の為だと思ってやっていたことは、その人の為にはなっていなかったのです。

 

体というのは難しい。

痛みや症状があるから、それを取ればいいと言う問題ではない。体ではなく、その人そのものを見ていく必要がある。

しかしそれが出来なかったのは、自分の弱さが原因。

弱さがあれば、困っている人がいれば助けてあげたくなる。

もちろんそう思うこと自体、決して悪いことではありませんが、その気持ちに囚われてしまうと、本質を見失ってしまうこともある。

仏が同情しないというのは、そう言う事だと思います。

助けたつもりが悪くもなる

最近会社を経営する社長の家族から相談を受けました。その社長は以前私が指導していて、現在指導は行っていません。

相談した人によれば、その会社にいるある社員が悪い社員で、その人に騙され、いい社員も辞めて行ってしまって、会社内から不満なども出て、そうしたことに全く気付いていないという。

その社長は本質的なことがまだわかりきれていなく、長い間指導していないので、それほどいい状態ではないだろうなとは思っていましたが、もしそれが事実とすれば、確かに問題でしょう。

また「いくら言っても、私のことは全然聞いてくれない」のだとか。

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