借金が増えた、リストラされた、会社が潰れた、腰が痛くなったなど、急に悪いことが起これば、直ぐ分かる。しかし徐々に悪くなっていくものは、分かりにくい。病気などもそうでしょう。
またボーナスが入った、就職が決まった、昇進した、恋人が出来たなど、急によくなるものもよく分かりますが、少しずつよくなるものは分かりにくい。
これが曲者ですね。
借金が増えた、リストラされた、会社が潰れた、腰が痛くなったなど、急に悪いことが起これば、直ぐ分かる。しかし徐々に悪くなっていくものは、分かりにくい。病気などもそうでしょう。
またボーナスが入った、就職が決まった、昇進した、恋人が出来たなど、急によくなるものもよく分かりますが、少しずつよくなるものは分かりにくい。
これが曲者ですね。
動物は真似る生き物です。自分で完全な0から創作することなどない。
親を真似るし、兄ちゃんや姉ちゃんがいれば、それを真似るし、友達がポケモンGOをやっていたならそれをやりたくなる。
真似をして学んでいきます。
そのためたまに真似することが、悪いイメージを持たれたりもしますが、真似をしなければ生きてはいけないので、真似することそのものは、悪いものではありません。
問題なのは真似の仕方で、それを間違えば、著作権侵害してしまったり、「二番煎じだね」なんて言われてしまう。
何でもやり方です。
教えることというのは、相当に難しい。
「教えることは難しいですね」と、素直に言っている人ならいいのですけど、中には知ったかぶりや、分かった振りして言っている人もいて、そういう人たちには、考えも付かない程に、教えることは難しいものです。
何しろ全て自分の責任だからです。
しかし殆どの人は、必ず何かのせいにする。
そうではなく基本的には、全て教える側の責任にあり、そう考えられることが出来れば、教えることの本当の難しさや、教えることは難しいと言う意味がが分かってきます。
当然教える責任の重大性も分かる。
親切にしたけど拒否する人がいると言えば、「私だったら親切にされれば、絶対受け入れますよ」と思うものですが、これは中々難しい問題で、心に余裕がある人でなければ、親切を受け入れることは難しい。
何故なら最初の段階では、それが親切なのか、何かの悪だくみなのかなど、分からないためです。
今まで受け入れて来たことによって、上手く行った経験のある人であれば、それを受け入れる可能性が高く、また経験が豊富な人や、器の大きい人、何かがあっても、それに対処するだけの自信がある人であれば、受け入れたりするでしょう。
しかし反対に、過去に騙されたり、自分が好きではないものを押し付けられたりして来た人は、また同じことをやられると思って、それが親切なのか、そうではないものなのかの判断をすることなく、最初の段階で受け入れを拒否する。
幸せもチャンスも、同じようなものだと思います。
よく道を下を向いて、歩いている人がいますが、そういうような人は、何かチャンスなどがあっても、絶対に気づくことはありません。素通りしてしまう。
下を向いて、とぼとぼと歩く様になったりするのは、何か嫌なことがあったりして、もうこれ以上、そうしたことを受け入れたくないという現われで、見たくない、向き合いたくないことを体で表現しています。
しかし残念なことに、そうした状態になると、却って悪いものだけが寄って来て、いいものは入って来ない。
一般に学校の勉強が出来る人が、頭のいい人とされていますが、自分で考えることの出来る人が、本当の意味で頭のいい人だと思っています。
確かに学校の勉強が出来る人は、医者になったり収入が高い傾向にありますが、だからと言って、その人が幸せであるかどうかは別の話です。
親は子供の幸せを願うものですが、その幸せのために偏差値の高い大学に行かせようとしたりする。
しかしそれは、収入が高くなる傾向にあるというだけで、幸せの道とは別の話であるのだから、その道は、幸せの道を保障しているものではなく、あくまで収入が比較的高くなる道を勧めているのだという事を、自覚しておくべきです。
一般的に整体は、どこか痛くなったら行くものだと思われています。その論から言えば、車が壊れたら、業者にお願いするみたいなものでしょうか。
「高速道路で車を走らせていたら、タイヤが一つ吹っ飛びました。よろしくお願いします。」
「ブレーキを踏んでも効きませんでした。そのため民家に突っ込みました。ブレーキを直してください。」
そんな感じ。笑
人は自分の登った山の高さまでしか見ることが出来ません。
高い山まで登った人であれば、それだけ沢山の景色を見ることが出来ますが、それ程高い山でなければ、見える景色は少ない。しかしそれが全ての様に思えるのです。
だから経験のある人にとっては、そんなことをやったら失敗するだろうと分かることでも、経験の無い人にはそれが分からないから、「やってみなければ分からないじゃないか!」となる。
次回の施術と個人指導は、
10月14日(金)14時~18時、10月15日(土)9時半~14時、
セミナーは15日(土)15時~16時半。
身体の使い方を知りたい人は、セミナーの方にご参加ください。
場所はいずれも新旭川地区センターです。
お申し込みはこちらから
新約聖書 マタイによる福音書 13章3-30
「種を撒く人」のたとえ
イエスはたとえを用いて彼らに多くのことを語られた。
「種を蒔く人が種蒔きに出て行った。蒔いている間に、ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまった。ほかの種は、石だらけで土の少ない所に落ち、そこは土が浅いのですぐ芽を出した。しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。
ほかの種は茨の間に落ち、茨が伸びてそれをふさいでしまった。ところが、ほかの種は、良い土地に落ち、実を結んで、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。
耳のある者は聞きなさい。」