イチローを一流に育てた父 9

・三時半から毎日四年間、イチローと野球をやる。

・バッティングセンターに4,5万円をかけ、七年間、時には一日二回、毎日通う。

・足裏のマッサージを七年間、朝晩30分毎日行う。

・中学高校の練習を毎日見学に行く。

といった、普通の親にはとても出来ない、真似出来ないような、イチローのお父さんの子育てについて、紹介してきました。

もしこれだけのことが出来るのであれば、誰でも子供をプロアスリートに育てることが出来るのではないかと思うのですが、最後にもう一つ、イチローのお父さんがやっていた、大変な子育てについて紹介します。

 

普通は、子供のためになるようなことをやれば、「こんなにやっている」と、なりがちです。

またイチローのお父さんがやってきたことは、普通に考えても、「十分なことをやってきた」、と考えてもいいと思いますが、イチローが中学に入った時に、

「さあ、いよいよこれから出番だな」

と意を強くしたという。

だから小学生の時に毎日3時半から練習して、バッティングセンターに行って、足裏を朝晩マッサージしていても、イチローのお父さんにとっては、まだ本番じゃなかったのです。笑

 

中学になれば、練習も厳しくなり、勉強も難しくなる。またイチローが通っていた中学校は、運動だけでなく、勉強にも厳しい学校。

そのため週末テストや、こなせないほどの宿題を抱えてくる。

特にイチローは、毎朝7時から始まる朝練と、放課後の練習、また更に毎晩バッティングセンターでの自主練も行っているため、他の子以上に時間がない。

 

 だから、この時期は勉強についてもうるさくいった。スポーツ選手は、体格、技術とも同レベルなら、最後は頭の差で決まる。まして一郎は身体に恵まれていないので、一流選手になるためには頭がよくなければだめだとよくいった。そのかわり、一郎の勉強が終わるまで私も一緒に起きていた。

 部活はやはり相当な練習量で、いつも疲れきって帰ってくる。なんとかいっしょに苦労したいという一心で、一郎より先には絶対に寝ないようにした。

 一郎の寝る時間は夜中の一時、二時がふつうだった。テストの前日ともなると、四時ごろになることもあった。だから、一時間でも一分でも早く寝かせてやりたいという気持ちから、私もいつも起きていて、何かわからないことがあったら教えてやりたい。少しでも役に立てないかなあと言う気持ちだった。何か聞かれたら、すぐに答えてやりたかった。とくに数学はよく聞いてきた。

 勉強も昔と変わっているから、私も一から勉強した。

 もし私が先に寝ていたら、一郎が何かわからないことを聞きたいと思っても、私を起こして聞くわけにはいかない。翌日になって「お父さんが寝ていたから聞けなかった」といわれたら悔いが残る。後悔するぐらいなら、何がなんでも寝るのは一郎のあとにしようと決めた。

 そんな気持ちで毎晩、私は一郎とすごした。

 それに、足の裏を揉んでやらなければならない。こうして私は小学校のときに一郎の足を揉みはじめてから、中学を終わるまで、一郎より早く寝たことはない。

「父と息子 イチローと私の二十一年 鈴木宣之著 二見書房 200項」
 

イチローを一流に育てた父 8
イチローを一流に育てた父 7
イチローを一流に育てた父 6
イチローを一流に育てた父 5
イチローを一流に育てた父 4
イチローを一流に育てた父 3
イチローを一流に育てた父 2
イチローを一流に育てた父 1

このエントリーをはてなブックマークに追加

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong>